勝利への道
投稿者のご紹介・プロフィール

小口 耕平さん
●大東文化大学(主将)卒
●伊勢丹入社
●リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入
●1997年 アメリカ合衆国戦で日本代表初キャップを獲得
●1999年 ラグビーワールドカップ出場
●2006年、現役を引退して丸昌エンターテインメント起業
●日本代表キャップ:10
●ポジション:プロップ
田沼 広之さん
●日本体育大学卒
●リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入
●1996年 韓国戦で日本代表初キャップを獲得
●1997年 ラグビーワールドカップセブンズ(7人制)出場
●1999年ラグビーワールドカップ出場
●2003年ラグビーワールドカップ出場
●2010年-2015年 リコーコーチ就任
●2015年-2022年3月 日本体育大学(ラグビー部監督・体育学部准教授)
●2019年 ラグビーワールドカップアンバサダー就任
●2019年 テレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」西荻崇 役にて出演
●2022年~ Black Rams Tokyoのアンバサダー就任
●日本代表キャップ:42
●ポジション:ロック
●愛称:タヌー
Vo.1 ~二人の出逢い~
この度、な、な、なんと! 1999年ラグビーワールドカップ大会に出場された元日本代表の小口耕平さんと1999年および2003年にラグビーワールドカップ大会に出場された元日本代表の田沼広之さん(愛称タヌー)のおふたりに、旬な話題など、こちらのコラムに寄稿いただくこととなりました!
体格に恵まれていた小口さんは、中学校まで野球を、そして高校からラグビーをはじめ、その練習は厳しく、試合に負けると学校に戻り延々とスクラムを組んだり、校庭を走り続けて…人生の中で一番 “運動”をし、今があるのも、当時の基礎作りがあってのことと思い出されるそうです。
一方、田沼さんは、中学時代は陸上部(800mと1500m)で活躍し、ラグビーへの転向は高校で最も仲の良い親友に誘われたのが、はじめたきっかけだったそうです。
ふたりの出逢いはRICOHでチームメイトになったことでした。ともに日本A代表(現ディベロップメント・スコッド:NDS)になり、平尾ジャパンに選出されたことがきっかけでした。
合宿では同室で、田沼さんはチームのムードメーカー、小口さんは体型に反し、おとなしい振舞いで、性格も真逆ながら気が合い、ラグビーのレベルを高めるために語り合った日々を懐かしみます。♪(´▽`)
小口さんにとって、現役時代一番印象深い試合は、1999年のワールドカップ第一戦のサモア戦 。31歳の誕生日!先発で出場し、気合いもいつも以上に入り、試合には惜敗したものの、平尾さんからMVPをいただき、第三戦にも先発出場となったこと。o( ̄▽ ̄)d
もうひとつ、オールブラックスとの対戦は別格で、一瞬一瞬のプレーでの恐怖心もあるものの、同時に憧れのチームに全力でぶつかろうと闘争心も湧き、やっぱり、ラグビーは面白いスポーツだと体感され、とりわけ2000年のオールブラックス日本遠征の際、外国人選手で特別チームを現日本代表監督ジョセフジェイミー氏が構成する中、日本人は唯一自分だけ選ばれ、あの伝説のジョナ・ロム―選手と対戦した感動は、一生の宝物。(‾◡◝)
田沼さんの現役時代の一番印象深い試合は、小口さんと同じ1999年のワールドカップ!、開催地であったウェールズ戦。
田沼さんにとって初めてのラグビーワールドカップの初戦と言う事もあり、非常に高揚し、早く試合がしたいと言う気持ちでカーディフの朝を迎えたそうです。
ウェールズは、レッドドラゴンと呼ばれチームカラーは赤で、カーディフの町がシティドレッシングで赤一色に染まっているのを見て心が震えたのを今でも覚えているそうです。そして同時に、いつか日本でラグビーワールドカップが開催され、桜のジャージが町いっぱいになる日が来てほしいと思った特別な日になり、2019年ラグビーワールドカップアンバサダーであの感動のお手伝いができたことは本当に幸せでラグビー冥利に尽きましたと熱く語られます。o(*°▽°*)o
ラグビーブームの到来に、ジャージも練習方法も昨今、科学的に進化し、おふたりとも驚きを隠せませんが、小口さんは、「高校の時は特に練習が厳しすぎてどうやってサボるか考えていましたが、今は背中にGPS着けて、動きをデータ化して分析するって、サボれなくて、かわいそうだなぁ(笑」と一言。(´▽`)
次回 7月のコラムは、RWC2023に向けた6月のウルグアイ戦と7月のフランス戦のテストマッチを元日本代表のおふたりの目線で解説していただきます!(≧∇≦)ノ
お楽しみに~ (((o(*゚▽゚*)o)))